Viehunterstand mit Strohdach /藁葺き屋根の家畜の一時避難小屋
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Viehunterstand mit Strohdach /藁葺き屋根の家畜の一時避難小屋 |
エーシェルブロンの家の裏には、1400年代の建築様式の家畜の風雨避けのための小屋(復元)があります。
藁を束ねて重ねた伝統的な藁葺き屋根です。
この時も雨がぱらついていたので、小屋の中に羊さんたちが集まり餌の藁をむしゃむしゃ。
Schafstall aus Schlaitdorf / シュライトドルフの羊小屋
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Schafstall aus Schlaitdorf / シュライトドルフの羊小屋 |
その先へ進むと大きな羊小屋が建っています。
1765年頃のものとされ、最大150頭の羊が飼育できるスペースがあります。
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羊小屋の中 |
この地域は昔は農作物が育たない貧しい土地で、羊は重要な畜産業でした。
羊毛、肉、ミルク、また移牧によって草刈りの役目や糞が肥料になったりと大活躍。
現在のシュトゥットガルト市内でも羊さんたちが様々な場所で放牧されているところを見ることができ、羊飼いの伝統が残っていることがわかります。
Weberhaus aus Laichingen /ライヒンゲンの機織りの家
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Weberhaus aus Laichingen /ライヒンゲンの機織りの家 |
200年前、Schwäbische Alb /シュヴェービッシェ・アルプ地方のLaichingen /ライヒンゲンという町は、Württemberg /ヴュルテンベルク地域のリネン産業の中心地で、半数以上の世帯はリネン織りによって生計を立てていました。
1677年に農家として建てられたこの家は、リネン産業の最盛期には二世帯に分けられ、機織りの作業場となる地下室が設けられました。
1835年と1853年には94平方メートルのこの家に3世帯が住み、
ある家族は織物を販売し自営業として成功した一方で、 ある家族は娘たちとその婚外子の子供たちと貧困の援助を受けながら生活していました。
藁と粘土で作られた大きな屋根は、シュヴェービッシェ・アルプ地方の伝統的な建築方法であり、中世時代の南ドイツでもこの形の屋根が使われていたそうです。
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地下室「Dunken」 |
機織り機は通常、湿った地下室に置かれて「Dunken」と呼ばれ、リネンには適していましたが人間にとっては良くない環境でした。
実際に地下室へ入ってみると、窓はあるものの暗く、天井が低くてジメジメしてあまり長居はしたくない雰囲気。
牢屋に入ったような気分です(・・;)
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機織り機 |
当時ライヒンゲンのリネン織物は、周辺の市場だけではなく、世界中に出回っていました。
機織りの人たちは織物を売ってお金を受け取るので、市場などで地域外からの輸入品や珍しいものを購入していました。
そのため畑の農作物や物々交換でやりくりしていた農家の人たちとは違うものを持っており、ハイカラさんだったそう。
機織りのDIYキット
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屋根裏の子ども部屋 |
狭い屋根裏にはこども部屋があり、簡易的なベットがありました。
当時は貧しさなどから結婚できず、予期せぬ妊娠からシングルマザーとなる女性たちも多かったそうです。
Tagelöhnerhaus aus Weidenstetten /ヴァイデンシュテッテンの日雇い労働者の家
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Tagelöhnerhaus aus Weidenstetten /ヴァイデンシュテッテンの日雇い労働者の家 |
Tagelöhner /日雇い労働者は村の下級層の人たちで、居住区域も分けられ村の端に家がありました。
この日雇い労働者の家は1734年に建てられ37平方メートルの面積で、暖をとれるものは一つのストーブと台所のかまどのみ。
洗面台やバスルームもありませんでした。
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リビング |
リビングはコンパクトで天井は低く、食卓に3人いるだけで窮屈な感じがしてしまいます。
家具もほとんど置くことができません。
しかしながら白と緑を基調としたデザインの空間はおしゃれで、質素ながらも暮らしを楽しんでいたようにも感じます。
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寝室 |
リビングの奥には寝室。
狭い部屋にベットが並び、奥の洋服タンスまでも一人通れる幅しかありません。
戦後はチェコスロバキアから追放されたドイツ系難民の夫婦が住んでいました。
当時のドイツの村にはこのような難民や避難民が多く押し寄せ、どのように受け入れ、統合していくかが大きな課題となっていました。
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トイレ |
玄関を出て、家の裏にあるのは木造のトイレ。広いですが冬場はもちろん寒いです。
便器の蓋にノブが付いているのが可愛い(°▽°)
Rathaus mit Lehrerwohnung aus Häslach/教師用住居付きヘスラッハ村役場
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Rathaus mit Lehrerwohnung aus Häslach/教師用住居付きヘスラッハ村役場 |
こちらはHäslach /ヘスラッハの村役場だった建物。
もともとは1787年に教師の住居付きの校舎として建設され、そこから200年もの間使用されてきました。
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村役場内部 |
ここはヴュルテンベルク地方の典型的な村役場であり、村議会の議場や教師用の住宅、時には学校のホールや拘置所、資料室にもなるなど様々な使われ方をしていました。
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事務室 |
内部は1963年頃の様子が再現されています。
1階の事務室には、黒電話やタイプライターなど古い事務用品。
奥の会議室には大きなラジオやレコードも展示されています。
2階は教師の住まいになっていて、とても広く、当時の冷蔵庫やテレビなど大型家電も展示されていました。
タイプライターのDIYキット
Fotoatelier aus Kirchheim unter Teck /キルヒハイム・ウンター・テックの写真館
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Fotoatelier aus Kirchheim unter Teck /キルヒハイム・ウンター・テックの写真館 |
特徴的な屋根を持つこの建物は、1889年に建てられた写真館でした。
直射日光に当たらないように北側の天井と壁がガラス張りになっており、白と黒の2種類のカーテンで外の光を調節できるようになっていました。
この日も曇りのお天気でしたが、撮影スタジオには明るい光が差していました。
木製の写真撮影機も置いてあります。
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写真たち |
ここでは1900年から1914年の写真館を再現。
この時代は自分のカメラを持つ人は少なく、スタジオ写真の全盛期でした。
Backhaus aus Esslingen-Sulzgries /エスリンゲン・ズルツグリースのパン焼き場
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Backhaus aus Esslingen-Sulzgries /エスリンゲン・ズルツグリースのパン焼き場 |
この小さなお家は、パン焼き場です。
19世紀中頃ヴュルテンベルク当局は、家庭のオーブンが火事の原因になっていることから、“Commun-Backöfen”/「共同オーブン」の設置を始めました。
村の主婦たちがパンなどの材料を家から持ってきて、ここで焼いていました。
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パン焼き場のテーブル |
このパン焼き場は、エスリンゲン・ズルツグリースに1887年に建てられ、100年近く使われていました。
パンが焼けるのを待ちながら、村の女性たちがおしゃべりしている姿が目に浮かびます(^-^)
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現在も使用されているかまど |
ここでは現在でもイベントの際などに実際にパンを焼いています。
この日もこの小屋からいい匂いがしていて、多くの人たちが集まっていました♪
私たちが普段観光で訪れるようなところは、王様や貴族たちが建てさせた立派なお城や宮殿で、そこにはお金と権威のある裕福な人々の暮らしがあります。
しかしこのミュージアムにあるのは、庶民の人たちのリアルな生活。
特に貧しい人たちの家は狭くて天井が低く、梁もむき出しな木組みの家。
立派な暖房設備もなく、ドイツの寒い冬をどうやって過ごしていたのかと思うほど。
衛生面や医療の面でも、早くに亡くなってしまう人が多かったのもわかります。
キラキラしたお城と同じ時代とは思えないほどの格差があり、現実を見た気がしてショックを受けました。
またおとぎ話でよくある、貧しい少女が王子様と結婚するというのは、当時の人々が本気で夢見ていた話だったのだと痛感しました(T_T)
ボイレン野外博物館には、他にも歴史ある興味深い建物や道具が多く展示されています。
また昔の人々の暮らしを体験できたり、果物の収穫や羊などの動物と触れ合えるイベントも開催されています。
もうすぐ始まるイースター休暇には、この時期だけのイベントも!
是非訪れてみてください♪
*Freilichtmuseum Beuren/ボイレン野外博物館*
所在地:In den Herbstwiesen, 72660 Beuren
開館期間:
3月末〜11月頭
2025年は3月30日〜11月2日
開館時間:
火曜〜日曜日 9時-18時
月曜は休館日だが、祝日にあたる場合は開館
入場料:
大人 8,5€
6−17歳のこども4,5€
5歳以下 無料
学生・シニア・障がい者割引、ファミリーチケット、グループチケット、16:30以降の入場割引などもある
その他:無料駐車場あり
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