砂糖大盛り台南グルメにカルチャーショック!400年の古都の文化と歴史〜台湾・台南編〜
こんにちは、いちごです。
前回、前々回の記事で、いちごとぽめすが一時帰国中に訪れた台湾旅行について書きましたヽ(´▽`)/
台中市内編
台中港町編
今回はその続き。
台湾の記録・台南編です♪
台南
台湾旅行最終日は、台中市から車で2時間弱の台南市へやってきました!
実は台南は、台湾の古都。最も早くに開発された都市です。
「台湾」の名前ももともとはこの地域の名称で、のちに島全体の名称になりました。
また台南といっても島の一番南にあるわけではなく、南西部に位置しています。最南端の町までは150kmほど離れています。
それでも台南はやはり南だからなのか、とても暖かい!
台中ではほぼ毎日強風で気温は高くても体感温度は低いように感じていましたが、ここは日差しが強く、夏の始まりのような気温。1月なのに日焼け止めが必須のレベルです(゚o゚;;
今回は歴史あるこの街とグルメをご紹介していきます♪
安平古堡
安平古堡は、台湾がオランダに占領されていた時代に建てられた「熱蘭遮城(Fort Zeelandia /ゼーランディア城)」の遺跡です。
17世紀初め、オランダ東インド会社が台湾に上陸し、貿易の拠点として1624年にこの地域を占領、1634年に要塞としてゼーランディア城を築きました。
しかしその占領は長く続かず、1662年には鄭成功がオランダから台湾を奪還、この地域を安平鎮と改名し、この城も「王城」などと呼ばれるようになります。
ところが清の時代になると、台湾が清朝の勢力下に収められたことで政治の拠点が別の場所へ移ります。
また億載金城というこの近くの新たな城塞建設の資材確保のために城の一部の壁が取り壊されるなどして、この場所は徐々に風化していきました。
その後日本統治時代に補修が行われて税関の宿舎なども建てられ、第二次世界大戦後に「安平古堡」と名付けられました。
現在残されているオランダ時代の遺跡は、ガジュマルの木の根が絡みつくこちらのレンガの城壁と安平古堡の敷地の外にある外郭の一部のみ。
当時はセメントがなかったため、壁の材料は砂糖水ともち米汁に牡蠣殻灰(牡蠣の殻を焼いて粉末にしたもの)などを混ぜ合わせて作られました。
これを「三合土」と言うのですが、当時の人々がオランダ人を「紅毛番」と呼んでいたため、ここでは「紅毛土」とも呼ばれていたそう。
壁には補強のための大きなハサミのような形をした「壁鎖(鉄ばさみ)」が取り付けられ、当時の建築方法を見ることができます。
また敷地内にある熱蘭遮城博物館では、安平古堡の400年にわたる歴史や出土品の展示もあります。
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展望台からの景色 |
1945年に監視のために建てられた塔は、1975年に台南市によって整備され、白い展望台となりました。(最初の写真)。
遠くには海が見えます。
現在は静かで平和な海ですが、ここがオランダ人、日本人、中国人など様々な人たちが到着した主要な玄関口だったと思うと感慨深いです。
台南孔子廟
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台南孔子廟 |
孔子廟とは、儒学の創始者である孔子を祀る施設。
特に台南孔子廟は台湾で最も古い孔子廟で、300年以上の歴史があります。
鄭成功の息子・鄭経の参謀であった陳永華が、聖廟や国学(学校)を設立して教育を行い、国の優秀な人材を確保することを提唱して建てられました。
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大成殿(本殿) |
大成殿には孔子の位碑が安置され、天井には清の歴代皇帝や戦後の台湾総統から贈られた扁額が掲げられています。
昨年まで台湾総統を務めた蔡英文氏の扁額もありました!
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明倫堂 |
孔子廟の隣には明倫堂と呼ばれる学校が建てられています。
「全薹首學」(台湾初の学校)とも言われ、清朝末期までは台湾政府の最高学府とされ、台湾の儒学の中心地でした。
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下馬碑 |
北側の門の外の石碑には、清朝の公用語だった漢文と満洲語で「文武官員、軍人と人民らはここで馬から降りよ」と刻まれています。
孔子への敬意を示すために、ここからは馬を降りて歩いて入らなければなりません。
当時は科挙の受験を目指す学生たちがお参りに来ていたそうですが、私たちが訪れた時には大学高校中学などの様々な年齢層の受験生たちとそのご家族がお参りしていました。
台湾の人たちの受験勉強に対する熱意が窺えます。
いちごとぽめすも勉強が捗るようにしっかりお願いしてきました(°▽°)!
赤崁楼(せきかんろう)
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赤崁楼 |
背の高い立派な石垣の上に立つ赤崁楼。
実際は2棟の建物が並んでいるのですが、1棟は改修工事中だったので奥のこちらの建物へ。
赤崁楼の始まりは、安平古堡の熱蘭遮城/ゼーランディア城と同じ時代、1653年にオランダ東インド会社が築いた普羅民遮城(Provintia/プロヴィンティア城)でした。
鄭成功の時代には承天府と呼ばれる政府機関が置かれますが、清の時代からはずさんな管理により荒れ果てていきます。
19世紀には中国式の建物が建てられ、日本統治時代には陸軍衛戍病院(えいじゅびょういん)としても使われていました。
その後も改修が繰り返され、現在の形となりました。
建物の塗装も最近行われたようで、光が反射して明るく映える色に。
色合いも独特で、ゲームやアニメの世界のような不思議な空間です。
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占い |
中心には神様の像が祀られており、その前で占いをすることができます。
神様に名前、生年月日、住所、聞きたいことやお願いごとを告げてから、2つの赤い三日月型の木片を同時に床に投げて、その裏表のパターンでYESかNOか、神様の答えを聞くことができます。
試しにいちごは、台の上にあった無料配布している鉛筆をいただいてもいいか、この占いで聞いてみました!
ドキドキしながら神様にお聞きして、2つの木片を投げてみると、、
ちなみに両方が表、または裏だと、NOの意味だそう。
ぽめすくんも同じように試してみて、すぐに鉛筆をいただく許しをもらえました。
心のお優しい神様ですヽ(´▽`)/
この鉛筆は、小学生の時に流行っていたロケット鉛筆。
金色で赤崁楼の名前が入ってかっこいい!
字が上手に書けそうです♪
ここから見る夕日が綺麗とのことでしたが、雲があって見えず。
ですが雲のちょっと下に、明るい丸い月が見えました!
(写真はクリックで拡大します)
いいことありそう(^ ^)
敷地内には中国式庭園もあり、鯉がたくさん泳いでいました!
橋も掛かって素敵な雰囲気。
ライトアップも綺麗です。
林百貨
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林百貨 |
さて最後は、レトロ可愛いスポット、林百貨です!
日本統治時代の1932年12月5日にオープンした「ハヤシ百貨店」は、台南の銀座といわれた末広町2丁目に建てられました。
6階建ての鉄筋コンクリート造で当時最先端の建築技術とデザインが施され、台湾南部で最大の百貨店でした。
この周辺は日本人たちの主要な買い物エリアだったため輸入品や高級品が多く販売され、また地元の人たちも嫁入り道具など買いに来ていたそう。
戦後、経営者の帰国に伴い「ハヤシ百貨店」は閉店しますが、2014年に建物がリノベーションされて「林百貨」として再びデパートがオープン。
台南、台湾のお土産や、伝統工芸品、アンティーク、ハンドメイド品などが販売されています。
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エレベーターのインジケーター(階数表示器) |
南台湾で最も早くエレベーターを導入した建物としても知られています。
当時は制服姿のエレベーターガールが乗務し操作を行なっていました。
台南の人たちには目新しく、「林百貨店でエレベーターに乗ること」が休日のおしゃれな楽しみ方だったそう。
エレベーターのインジケーター(階数表示器)も展示されています。
レトロおしゃれな雰囲気が素敵です。
最上階の屋上には「林」と書かれた丸いオブジェがゴロゴロ。
漫画チックなデザインで可愛い!
奥には、開業から半年後に完成した小さな神社があります。
「末広社」と呼ばれ、当時は一般公開されていなかったそうです。
屋上の壁には第二次世界大戦時の空襲の跡も残されています。
1945年3月1日、米軍による台南で最も激しい空爆があり、ハヤシ百貨周辺の市街地は大きな被害を受けました。
多数の弾痕が戦争の悲惨さを静かに物語っています。
戦争時代の光と影、両方を感じることができる場所です。
台南グルメ
最後に、台南グルメをご紹介!
台南の食べ物は、非常に独特なお味(^_^;)
味付けがいつも甘いのです!!
朝の永樂市場。
ここでいちごとぽめすは、朝から甘いご飯に四苦八苦することに・・・
*ここから書く内容は、いちご個人の感想です。
台南料理がお好きな方には申し訳ないですが、嘘はつきたくないので本当の味の感想を書かせてください(>_<)
まずは80年の老舗、阿松割包へ。
昔ながらの店構え。
店頭のテーブルで割包(刈包ともいう)をいただきます!
割包とは、蒸しパンに煮込んだ豚肉や高菜の漬け物、ピーナッツの粉、香菜などをはさんだもので、それを聞くと美味しそうに感じますが、これが甘い。
高菜の漬物は酸味があるのですが、お肉には甘すぎるピーナッツソースが絡まり、期待していたようなジューシーなお肉の味が全くしません…
お次はこちらも80年近い歴史のある富盛號。
建物は新しくモダンなデザインで、2階のイートインスペースへ入りました。
魚羹と碗粿(ワーグイ)がこの店の看板メニュー。
左の魚羹は、魚のつみれのとろみスープです。
魚のつみれのスープは、前回の記事の鹿港でも食べて美味しかったので楽しみにしていたのですが・・
これも甘い。とろみスープが砂糖水のように甘いのです。
魚のつみれもその甘さに絡められて、味がわかりませんでした(T_T)
右側のお椀に入った碗粿(ワーグイ)は、お米をすりつぶして蒸した食べ物。
豚肉やエビなども入って、茶碗蒸しのようなイメージです。
上にかかった茶色のものは、特製の醤油のソース。
実際に食べてみると、醤油のソースがみたらし団子のような甘みがあって、それなのにお肉やエビが出てきて、もちもちした甘い団子のような茶碗蒸し、という感じでした・・
不思議な食べ物です。
そして、富盛號の並びにある金得春捲。
春捲(潤餅ともいう)は、台湾式春巻き。
薄く弾力のある生地に、キャベツや豆、豚肉やエビなどを入れて、ピーナッツ粉と砂糖をまぶしたものを包みます。
これももちろん甘いです。笑
普段塩味の食事がメインのいちごとぽめすには、どうして野菜や肉や魚を全て砂糖味にしてしまうのか、その味覚が理解できませんでした(T_T)
砂糖をなくして塩味にしたら、私たちでも美味しく食べられるのに・・
カルチャーショックを味わいました。笑
店員さんたちが生地の上に具材をのせ、最後に奥に見える大きなボウルに入った砂糖&ピーナッツ粉を、大きなスプーンを大盛りにして何杯も何杯もかけていきます。
容赦なく、止まりません・・
連続で食べる甘い料理に死にそうな顔になっていると、やっと友達が勘弁してくれて(?笑)、甘くないお料理を食べさせてくれることに( ̄▽ ̄;)
まずは鍋燒意麵!
自然甜鍋燒というお店へ。
意麵とは、小麦粉と卵からできた台南発祥の麺のこと。
かた焼きそばのように揚げた意麺が出汁のきいたスープに入っています。
野菜、豚肉、エビにあさりまで入って具だくさん。
ラーメンにも見えますがしょっぱさは全くなく、自然な出汁の甘みはありますが、まだ体に優しいお味。
個人的にはいちごはあさりが好きなのですが、これが新鮮でとてもよかったです!
ここにはお粥もあり、やっとゆっくりご飯が食べられると思ったのですが、
いちごはすぐに気分が悪くなり食事の手が止まってしまいます。
なぜかというと・・
お店の前の狭い道路を走る大量のスクーター。
食事の途中でいちごが苦手な排ガスの臭いが小さな店内に瞬く間に広がり、苦しくなってしまいました・・
お腹が空いているのに、臭いが邪魔をして、食べても美味しく感じられず(T_T)
これもカルチャーショック、異文化体験です。笑
私たちのブランチはここで終了しました(°▽°)
夜ご飯は、鱔魚意麵/タウナギ意麺!
タウナギ料理の名店、進福炒鱔魚專家へやってきました。
鱔魚/タウナギは淡水魚で、水田や水路、沼などに生息しており、容姿はウナギに似ていますが別の生き物です。
乾炒鱔魚意麵は、炒めた意麺にタウナギをのせたもの。
真っ黒でつやのある大きなタウナギはちょっと生々しくも見えます。
日本の柔らかい鰻とは違い、弾力がありシャキシャキとした食感。
醤油やオイスターソースのようなものとニンニクで炒められ、なんとも言い表せない不思議なお味です!
鱔魚意麵羹はタウナギ意麺のスープ。
スープといってもあんかけのようなとろみのある汁に、意麺とタウナギが入っています。
炒めたタウナギ意麺よりはあんかけの甘さが出て、甘酸っぱい感じです。
これもまた初めての味で、でもいちごはまだ炒めたタウナギ意麺の方がさっぱりしてて好きだなと思いました(^ ^)
豚の腎臓を生姜や胡麻油などで炒めたものなのですが、これは日本食を食べている人には慣れた味付けで、美味しい!
お肉は分厚くて柔らかい弾力があり、臭みは全くありません。
それから燙魷魚、茹でたイカです。
新鮮で、コリコリした食感でこれも美味しかったです!!
そしていちごが一番気に入った台南料理は、安平古堡の近くのお店で食べた棺材板!
揚げた食パンの中をくり抜いて、中にクリームシチューを入れ、上からパンで蓋をしたもの。
「棺材」とは棺おけのことで、その形から名付けられたのだとか(^^;)
食パンは思ったより薄いのですが、シチューは溢れることなく、巧みな技で(?)くり抜かれていることがわかります(°▽°)
このお店のシチューはとろみがあり、やっぱり甘めの味付けでしたがサクサクの揚げ食パンといいコンビ。
いちごの小中学校の時の給食のシチューは甘めだったなぁと、懐かしい気分になりました♪
目新しい食べ物がいっぱいの台南グルメ!
しかし、なぜこんなに台南料理は甘いのでしょうか。
友達が言うには、昔は砂糖は贅沢品だったため、料理に砂糖をたくさん加えることでおもてなしの気持ちを表しているのだとか。
私たちが普段食べているものとは違う味付けで、残念ながら口に合わないものが多かったのですが、現地の味を知ることができたのは本当にいい経験でした。
今回は甘い料理ばかりでしたが、実際は注文の際に砂糖の量を減らすことが可能なお店もあります。
みなさんのご旅行の際は、甘さを減らして美味しくいただけるお料理もあると思いますし、また一度は本場の味に挑戦してみるのもおすすめですよ♪
一昨年の友人夫婦の結婚式に続き、2度目の台湾。
今回も台湾、そして日本との歴史を学ぶことができました。
これまでは、日本の統治について教科書でたった数行読んだだけの知識しかありませんでしたが、この2回の訪問を通して、その時代に与えた影響は今でも大きく残っていることがわかりました。
過去に日本人は台湾の人々を傷つけてしまったのに、私たちが出会った台湾の友人たちはみんな親日に思ってくれていて、日本語を話したり、日本文化を好きだと言ってくれます。
日本の統治のおかげで、国のインフラや秩序が整ったとポジティブに話してくれる友達もいます。
でもその好意をただ受け取るだけで終わりにせず、その気持ちから、学ぶことがたくさんあると私は思います。
以前、今回案内をしてくれた台湾人の友達のおばあさまと、ひょんなことからビデオ通話をしました。
日本統治中に子ども時代を過ごしたおばあさまは、日本語が少し話せるからいちごと話してみたい、と(中国語で)言いました。
もしかしたら日本人に恨みがあるのかもしれない、何か悪いことを言われるのではないか、と不安な気持ちがよぎりましたが、
おばあさんはゆっくりと、「こんにちは」と「ありがとう」を言いました。
それからは中国語で、「もっと日本語を話せたと思ったんだけど、やっぱり忘れてしまったわ。ごめんね、ごめんね。」と。
当時の日本人が幼いこどもに無理に教えたかもしれない言葉を、「話せなくてごめんね」と、日本人である私に謝ってきたことに、なんと言葉を返せばいいのかわかりませんでした。
何気なく出た言葉だったのかもしれませんが、その出来事が今でもずっと胸に残っていて、私はおばあさまの気持ちにどう答えるべきだったのか、何ができたのか、しばしば考えています。
でもこれをきっかけに、その国にどんな歴史や政治があろうとも、差別や偏見を持たずに人と接することを心がけるようになりました。
当たり前のことのようですが、ネットなどいろいろな情報が溢れる今の時代、先入観から人と接してしまうことも。
もちろん自分の意見や考えも大切にしつつ、でももっと視野を広げて「その人」を知ることを大事にしていきたいです(^ ^)
素敵な体験をさせてくれた友達夫婦には感謝の気持ちでいっぱいです!
本当にありがとう、謝謝♡
そして今回の一時帰国では台湾から日本に帰国後、今度は友達夫婦が日本に来て、私たちが東京をご案内しました!
今では離れ離れになってしまった私たちですが、久しぶりに長い時間を一緒に過ごせて嬉しかったです。
きっとまたすぐに会える気がするので、その日を楽しみにこれからも日々頑張っていきたいなと思います♪
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